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インフルエンザ

2009/11/22 23:35
 ネタになると思えば、熱の38度や39度や40度(さすがに40度は嫌)。
 そもそものきっかけは、ささいなことにはじまりました。あの日の朝、なんだかだるいような気がする、微熱でもあるのだろうかと熱をはかってみたものの。
「38.4度」
 んっ? 見間違いかしら。これはいくらなんでもありすぎよね。体温計の調子が悪かったのかもしれないので、念のためもう一度はかってみました。
「38.3度」
 やったぁ。0.1度下がっているわ。って、喜ぶところではないわよ、そこ。
 嫌な予感がしました。ただのカゼでも、いきなりこんな高熱は出ません。私のカゼはいつも控えめな子だもの。TAの受け持ちのクラスの学生さんにもちらほら感染者が出ていましたし、時期が時期なだけに、私はすぐにインフルエンザを疑いました。インフルエンザははじめてかもしれないと、ちょっと感動しました。この微妙にずれた感性は、熱によるものではなく、もとからの私の性質です。
 インフルエンザとただのカゼとは、似て非なる病気です。両者の間にはたくさんの違いがありますが、ひとことでまとめると。
 自分は人にうつすことがあっても、自分は人からうつし返されることはない。
 といえるでしょう。安心安心。
 早めにタミフルを服用しなければ効き目がないことは知っていたので、病院に行くことにしました。午後から病院に行くことにして、それまではおとなしく眠っていました。熱が38度ちょっとあるだけなのに、ただそれだけなのに、起きているのがつらかったのです。眠る以外のことはできませんでした。さんざん熱が上がって、もう十分身体は温まっているはずなのに、いつまで経っても寒い。関節痛なのか筋肉痛なのか知りませんが、全身がきしむように痛い。家のなかをうろつこうものなら、まっすぐに歩けない上あちこちにぶつかるので、痛い。
 病気になったときの基本は安静にしておくこと。あれだけおとなしく眠っていたのだから、きっと熱も下がっているに違いないと思ったので、病院に行く前にまたはかりました。
「38.8度」
 よくなるどころか、上がっているわ。ですが、これもウイルスを駆除するためにとっている、身体の自然な反応なのでしょう。よくぞ闘ってくれたわ。熱が上がりつづけるのは不安でしたが、その健闘ぶりは怒る気になれませんでした。
 その日はかかりつけの病院が休診の日だったので、父が適当な病院へ連れていってくれました。頭がぼーっとしてよく覚えていませんが、その病院は始終あまりいい印象はありませんでした。待合室で座った状態で待機するというのはさすがにつらかったですし、お医者さんは話が長いですし、看護士さんたちはぺちゃくちゃとおしゃべりの声がうるさくて頭に響きました。
 それから、重要なことに思い当たりました。インフルエンザだという診断がくだされれば、熱が下がってから2日間は学校を休まなければならなくなります。この忙しいときになんてことかしら。学校に行きたいよう。TAのお仕事がしたいよう。学生さんたちの元気なお顔が見たいよう。待ち時間の間じゅう、うじうじと悩む乙女。最初はただ落ちこんでいたはずが、なんとか法令の網の目をかいくぐる方法を考える方向へと発展していきました。
「早い人では、確か2日くらいで治るのよね? できれば2、3日のうちに治ってほしいのだけれど。これはお願いではないわ。
 命令よ。
 そうだ。私は1日で治ったことにして、今日熱が下がったことにしよう。それで、今日から数えて、1日、2日……あら、あさってにはもう学校に行けるわ」
 どんどんずるい計算に発展していきます。しかもかなり無理があります。そのような逡巡がつづくこと小一時間。
 インフルエンザの検査が陰性でした。
 病状の経過を見るために次の日も来なさいと言われて、2度ほど受けた結果、2度とも。つまりは、ただのカゼ。この時期になんてまぎらわしい。処方されたタミフルを服用すると、すぐに効いて熱が下がったので、ということは、インフルエンザでほぼ間違いはないと思っていました。ですが、タミフルは一部のカゼにも効くらしいですし、もしインフルエンザだったとしたら、もうしばらく高熱がつづくはずだったということです。
 陰性の結果を告げたお医者さんは、私の反応を楽しみにしているようでした。たぶん。
「なんだ、休めないのか」
 と、落胆することでも期待されていたのでしょう。はじめてのインフルエンザで、わくわくしていたので、陽性と出なかった結果にはがっかりしましたが、私は最初から学校を休むつもりはなかったのかもしれません。
「それでは、学校へ行ってもいいのですね!」
 と嬉しそうにする私に、お医者さんはなんだかおもしろくなさそうなご様子でした。
 末筆ながら、多くの方々にご心配をおかけしたこと、本当に申し訳なく思っています。たくさんの暖かいコメントや拍手をありがとうございました。

もうだめ……

2009/11/15 23:49
 とうとう私もインフルエンザに感染しました。
 高熱でブログどころではないので、しばらくは筆を置くことにします。
 みなさまもどうかお気をつけて。

冬の足音

2009/11/14 23:56
 秋もそろそろ終わりに近づいてくる頃です。今年の秋は妙に短かったような気がします。秋を満喫しないまま終わってしまうのも、なんだか味気ないものです。柿も、かぼちゃも、サンマも、あまり食べていないわ。たくさん食べておかないと冬が越せないわ(冬眠前のクマか)。秋はおいしい食べ物がたくさんあります。それらを食べずに冬を迎えるなんて邪道ですもの。乙女にとっては食欲の秋なのですもの。
 だんだん寒くなってきたので、先日ついにブーツデビューを果たしました。足があたたかくていいことです。今年のブーツは、おリボンとたくさんのフリルのついた黒いロングブーツにしました。ヒールが高くて、おかげで5〜10センチほど背が伸びたのではないかという気がして嬉しいです。やはり目線の高さが違います。お小さい方が余計にお小さく見えるもの(なによその感想)。
 ブーツデビューにつきものなのが、歩き慣れないのと歩きにくいのとによる転倒。今年もさっそく派手に転んでしまいました。そのときは、たまたまオーバーニーハイソックスをはいていたからいいものの、転び方が悪く、両方のひざこぞうに大きなあざができてしまいました。これでは当分の間、ミニスカートがはけないわ。くすん。ですが、けがはひざだけで済みましたし、血も流さずに済んだので、それだけが不幸中のさいわいでした。
 これを機に、もっと気をつけなければならないと思いました。やはり、転ぶと思ったら、なりふりかまわず、どれほど変なポーズになってもいいので、なんとか体勢を持ちこたえたほうがいいのかもしれません。うーん、それもどうかしら。転ばなくても、変なポーズをするのは恥ずかしいわ。下手をすれば、転ぶよりも恥ずかしいかもしれないわ。でも、転ぶと痛いわ。どちらをとるか、迷うところです。
 今日のお天気はあいにくの雨でした。小気味いいほどに、一日中降りつづいていました。今日の雨で、明日には紅葉もだいぶ散ってしまっているでしょうか。運よく、ちょうど昨日撮影した写真があるので、それを見ながら残り少ない秋を満喫することにします。
 写真はクリックすると大きくなります。








「私はここよ」

2009/11/13 23:59
 夢を見ました。
 昨日見た夢では、夢がはじまって早々、父と母に向かって、自分の研究について説明しているところでした。現実とは正反対の夢。父も母も、私が大学院で何を学んでいるのか、いくらか興味はあるそぶりを見せるのですが、「(娘が)大学院で何をやっているのかわからない」というのが決まり文句のようになっています。それは、ときにはあきらめのようにも聞こえ、ときには自慢のようにも聞こえます。
 私も私で、説明したいのはやまやまなのですが、自分のしていることをうまく説明することができず、もどかしい思いをしています。それはもはや、研究者のたどる運命なのかしら。私の研究室には、自分のやっていることが他人に理解されず、悩んでいる人ばかりですもの。そこであきらめている人もいれば、わかってもらおうと努力する人もいて、それぞれに思うところがあるようですが。
 そんな現実からはとうてい想像もできませんが、夢では私は熱心に説明していました。それだけわかってほしかったという願望のあらわれなのでしょうか。夢のなかでのその説明の仕方が、完全ではないとはいえ、何らかの指標になったり参考になったりするものと思われるので、忘れないうちに書き留めておきたいのです。
 夢のなかの私は、確かこのように説明をしていました。
「この世には、研究書、専門書といった書籍が存在するでしょう。それがなぜ読めるかわかる? 研究者が現代日本語で書いてくれたから。もちろんそれもそう。でも、それがどれほど大変な作業かわかる? それをしてくれた研究者の人たちは、どれほどのことを学んできたのだろう。想像も及ばないことだ。なんといっても、彼らはプロフェッショナル。長きにわたって勉強して得たそれを、我々凡人がすぐにわかるはずもない。でも、その恩恵にあずかれることだけは忘れてはならない。当たり前のように与えられるものにどれほどの価値があるものか、手にする書物の背後に、どれだけ多くの研究史と研究者がいるか、考えてみなさいよ」
 私は泣きながら説明していました。どうして泣いていたのかは、いつものことながらはっきりしませんけれど。悲しかったからという理由で、泣くことで自分を慰めていたのではないことは確かです。自己憐憫なんて嫌いだもの。なかなかわかってくれない、悔しい、でもがんばる、という気持ちからとか。あと少しがんばれば、私が話をしようとすればわかってくれるのではないかと。自分のやっていることを否定されたことに腹を立てていただけかもしれませんが。
 そういえば、一時期毎晩のようにうなされていた夢があります。
「私はここよ」
 と、泣く夢。
 誰に対してそのように呼びかけているのかわかりませんが、誰かに向かって、必死に自分のいる場所を説明しようとしているような、自分がここにいるということをわかってほしいような口ぶりで訴えかける夢。それで、気がつくと泣いています。私の意識とは無関係に。
 最近はその夢に対する解釈も変わりました。夢を見ていた当時は、誰も自分の存在に気づいてくれない、気づいていたとしても認めてくれない、という絶望がそのような夢を見せていたのではないかと考えていました。無理解な人間にばかり囲まれて暮らしているという現実で、人から理解してもらえないということは、その存在にすら気づいてもらえないのと同じと考えていたのかもしれません。ですが、いま思うと、あと少しのところで気づいてもらえそうで、だからこそ私は必死になって呼びかけていたのかもしれません。それは絶望からではなく、希望のために。
 そのようにして、目が覚めてから考えるようになったこと。
「泣くほどのことだろうか?」
 泣くほどのことはないと。もう悪夢からは解放されているのかもしれません。

スープカレー

2009/11/12 23:58
 最近はスープカレーの食べ比べにはまっています。地元では、スープカレーは札幌のご当地グルメだとかいう声を聞きますが、本当にそうなのか、全国的に普及しているものなのか、定かではありません。ですが、札幌のなかでも、とりわけ北区は、スープカレーの聖地とか激戦地とかいわれています。言葉を変えるだけで、安息の地にも戦場にもなり得るなんて、すごい表現の幅だと思いました。ですが、その言葉が指し示すとおり、札幌のスープカレーは本当においしいと思います。
 私がはじめてスープカレーを食べたのは数年前。研究室のO嬢と出会って間もない頃でした。そんなO嬢と、ほかの研究室の人たちと一緒に、はじめてお昼ごはんを一緒に食べたのがスープカレーのお店でした。O嬢が率先して案内してくださいました。まあ、味はだいたい想像していたようなものだったので、感動といえるほどの感動はおぼえませんでしたが。
 そういえば、私は最初、スープカレーとはどのように食べるものなのかすら知りませんでした。いまでは、私は、ひとくち分をスプーンですくって、それをスープにくぐらせて食べます。それが一応スタンダードな食べ方とされているようです。スープは、ルーカレーのようにどろっとしているのではなくて、さらっとしているので、ふつうのカレーのようにごはんにかけようとすると、ねこまんまのようになってしまいます。好きでそのように食べる人もいるらしいのですが。ひとくちにスープカレーといっても、いろいろな食べ方があるようです。
 ところで、スープカレーの話を黒猫ちゃんにすると、いい指摘を受けました。以前ブログ記事で紹介したハヤシライスとスープカレーとではかぶってしまうから、どちらか一方にすればいいのではないかと。黒猫ちゃんはさすが猫なだけあって、着眼点が鋭いわね。でも、甘いわね。スープカレーのお師匠さまともいうべきO嬢のお話によると、ハヤシライスもスープカレーもルーカレーも、どれも異なった食べ物だということです。1日3食カレーで生活できるというのもうなづけます。
 さて、スープカレーのお店は確かにたくさんありますが、私のように修行の浅い若輩者には、正直なところ、どれも似たり寄ったりという印象を受けるのは否定できないことでした。現段階では、大方食べ比べてみたところで、やっとお店を2つにまでしぼりこむことができました。黒猫ちゃんはどちらが好みかしら。最悪の場合、空いているほうのお店に行くことになりそうですが。
 ひとつめの気に入っているお店は、ガイドブックにも載っているという、有名すぎる姉妹店2店。いかにもスープカレーを食べているというような、典型的な安定感のある味なので、無難といえば無難といえるでしょう。文句のつけどころもなくおいしいです。ただ、O嬢のお住まいの近くなので、人様の縄張りに侵入しているようで気が引けます。
 そして、もうひとつは、いかにも私のような変人に好かれそうな穴場。お店は隠れ家のようなたたずまいで(そういうところが大好きよね)、いつもそれほど混んでいません。お客さんがまったくいないわけではないので、さびれているというほどでもありません。味は「これがスープカレーだ」というような正統な味という感じはあまりしませんが、そのような面では独創的であると私には思われました。いろいろな食材をじっくり煮込んでいるところは、私にもわかります。後味が忘れられません。
 その他、候補にあがらなかったお店たち。それらのほとんどが可もなく不可もなく、とりたてていうほどのことはありません。やはり、しろうとの私なんかに「この程度なら私にも作れそう」なんて思われるようではいけないわ。「どうやったらこんな味が出せるのかしら」と思われつづけるようでなければいけないわ(どちらも作る側の視点じゃないの)。せっかくなので、ついでに、私らしく、まったく独断と偏見によりますが、気に入らなかった2店も挙げておきましょう。
 ひとつめは、決してまずくはありませんでしたけれど、ぬるかったところが気に入りませんでした。温かいものは温かいまま、冷たいものは冷たいまま、というのがお料理を提供する上での基本なのに。
 もうひとつは、お店すら探し当てることができなかった、すすきのに何店かあるスープカレー屋さん。すすきのは少し遠いのですが、地下鉄を使えばすぐに行けるところなので、探すだけ探してみようと思って、何度か遠出をしたことがありました。スープカレーの大遠征。ところが、すすきのは滅多に行かないところでもありましたし、あんな小さなビルがごてごてと密集しているようなところで、地図をもとにどんなに目を凝らしてみても、目当てのお店は結局見つけられませんでした。見つけやすさもお店の評価に含まれる項目のひとつだと思うので、すすきののお店にはもっと見つけられる努力をしてほしいと思いました。というわけで、すすきの近辺はあきらめました。もともと夜は治安の悪いところでしたし、取り締まりが厳しくなったにしても、現状がどのように変化したか、あるいは変化していないか、私も把握しきれていませんでした。かわいい黒猫ちゃんが誘拐されでもしたら大変だわ。おじさま方のお酌などをさせられちゃうわ。
 気に入ったお店は、情報収集のために、2巡めにはいっています。いろいろなメニューを試してみたいのですもの。


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