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秋の散歩道

2009/11/06 23:55
 今日はお天気もよく、ぽかぽかとあたたかい一日でした。そのように言うと聞こえはいいかもしれませんが、実際のところ。
 暑かったわ。
 四捨五入して20度もあれば、半袖で十分です。
 秋の陽気に誘われて、お散歩したくなるのが乙女心。こんなにお天気のいい日に、研究室にこもって勉強をするなど、不健康すぎますもの。
 写真はクリックすると大きくなります。














黒猫VS女子高生

2009/11/05 23:59
 今日あったちょっといいこと。
 学校の帰りに、バス停で、バスが来るまで黒猫ちゃんと電話でお話していました。それはもう、日課になりつつあるほど、会えないときはいつも楽しくおしゃべりをしています。黒猫ちゃんは電話口で、いつも一番最初に「お疲れさま」と言ってくれます。学校が終わってへとへとに疲れているときに、癒し効果は絶大。もう、かわいいんだから。
 いつもはバスが来てから一度切って、話し足りなければバスを降りてからまたかけ直したりするのですが、今日は黒猫ちゃんの都合に合わせて、バスを1本見送ることにしました。その便に乗る意志がないという意思表示をと思って、バス停から少し離れたところで、背中を向けるようにして黒猫ちゃんとお話していました。
 すると、背後から近寄ってくる人影がありました。振り返ると、セーラー服を着た女子高生。ときめく乙女。おそらく、バスに乗るはずの私が、バスが来たことに気づいていないと思ったのでしょう。ご親切に、バスが来ましたよと教えてくれました。優しい心遣いにとても感動しました。私の通っている大学の近くには、お嬢様方が通っている女子大があって、そのセーラー服は、その大学付属の女子校のものだとわかりました。いまどきなんて奥ゆかしい。現代の財政の厳しい現状からしても、学校も学生数を確保できなければ経営が困難になるために、共学に踏みこむ学校も多いと聞きますが、そこは由緒あるお嬢様学校なのだなと改めて思いました。
 それにしても、そのような予想外の展開は、私はどうも苦手です。臨機応変に対応できないというか。電話で話している人間(猫?)と、目の前にいる人間との対応の切り替えにうまく頭がついていかないようです。私は黒猫ちゃんとのお話を続行するという頭でいたせいか、黒猫ちゃんが不審がらないように、その女の子には何をどのように伝えたらいいのかと混乱してしまいました。そして最終的に、「お先にどうぞ」というようなわけのわからないジェスチャーをしてしまいました。かなり変人な乙女と思われたことでしょう。くすん。
 せっかく勇気を出してこんな変態なお姉さんに声をかけてくれたのですから。
「はいはーい!! 乗ります、乗ります!!」
 って、電話を切ってバスに駆けこんだほうがよかったかしら。黒猫ちゃんなら、あとから、「えへ、ごめん」ってかわいく謝ったらきっと許してくれそうだもの。せっかく親切心から声をかけてくれたのに、それが相手にとっては必要のないことだったと認識されるくらいなら、相手はそれを心から必要としていたのだと認識されたほうが、「人に親切にできた」と思えて嬉しくなるのではないでしょうか。そのように心優しい女の子には、やはり嬉しく思ってもらいたいですもの。
 今回の残念な失敗は次に活かしましょう。ということなので、黒猫ちゃん。私がいきなり電話を切るようなことがあれば、女子高生に話しかけられたと思ってね。
 さて、久々にすてきな音楽を見つけたので、動画をはりつけるのを今日のブログのメインにしようと思っていたのですが、またしても前置きが長くなってしまいました。
 アニメか映画の主題歌らしいのですが、実は以前に流行したもので、そうとは知らずに、いまさら私だけがはしゃいでいるという時代錯誤的なことがありませんようにと祈りつつ。


動画:雲のむこう、約束の場所 〜きみのこえ〜



灼熱地獄の冬

2009/11/03 23:59
 昨日、今日と、急に冷えこんで、ついに雪が降りました。昨日の帰り道は、うっすら積もった雪に、うっかり滑って転びそうになってしまいました。転びそうにはなりましたが、滑っただけで、転んではいないと言い張りたい乙女心。スリル満点な雪道を歩いてしまっては、もう冬なのだなと感慨に耽らずにはいられません。
 また暑い冬がきたか。
 と。
 私は学校やその他施設などの建物の運営(費)事情を知っていました。暖房費を予算に組み入れるのは、せいぜい11月から3月まで。そのため、寒くても暖房を入れることのない10月と4月が体感的にも1年を通して一番寒いと感じられます。
 10月末ぎりぎりまで寒い思いをしながら凍えそうになる毎日を送ること数日。ついにこの日はやってきました。11月に入ると、途端に過剰な暖房、暖房。どこもかしこも暑すぎる。私は毎年過剰な暖房のせいで学習していたので、11月初登校の日は、思いきって薄着をしていきました。さすがに肌を露出するのは寒いと思ったので、長袖にしましたが、あれだけ薄い生地でありながら、あれほど暑苦しい思いをするとは、暖房の暑さはあなどれないと思いました。半袖を着て学校に来ていたO嬢のほうが、ずっと賢い選択をしていると思いました。それにしても、あんなに暑いのに、コートを脱いでいる人が少ないのはどういうことなのでしょうか。みんな暑くないのかしら。
 暑いのは外出しているときだけではありません。家にいるときも暑い。先ほども、さっそく父と一悶着ありました。
 父は道南の育ちなので、寒がりなようです。そんな父とは対照的に、私は極度の暑がりです。冬でもコートを着ないでお外を歩くことができるほどです。体内が燃えているのよ。基礎代謝が高いのではないかと勝手に理解しています。
 一日中ずっとストーブをつけっぱなしにしておくと、いくら寒くても、日中はぽかぽかしてきます。ぽかぽか程度ならまだいいほうですが、暑さに鈍い家族はストーブを消すという選択肢を持ち合わせていないらしく、真夏のような暑さになることさえあります。私は冬でも半袖が基本。
 室内の温度計を見ると、20度近くあったので、そろそろストーブを消してもいいのではないかと提案すると、父が一蹴。
私:「暑いからストーブを消してもいい?」
父:「えーっ。だめ。寒い」
私:「だって20度近くあるよ。厚着をすればいいじゃない」
父:「寒いものは寒いもん。ストーブを消すなんて考えられない」
父:「どういう感覚をしているの?」
 ここで返答に詰まりました。怒り心頭だったのは言うまでもありませんが。
 そういえば、この間、私がTAを担当している英語のクラスで、先生が学生さんに説明されていました。たとえば、以下の2文を比較してみた場合。
 食卓に、いかにもまずそうなお料理があがっているときのひとこと。
「これ、誰が食べるの?」
 食卓に、いかにもおいしそうなお料理があがっているときのひとこと。
「これ、誰が食べるの?」
 上の文章はふたつとも、「誰なのか?」ということを疑問にしているわけではありませんし、その「誰」を答えたとしても、見当はずれな答えとなってしまいます。どちらも反語的に、上の文章では、「こんなもの、誰も食べるはずがない」と言っているのでしょうし、下の文章では、「自分が食べてもいいの?(食べたい)」と言っていることが読みとれなければならないからです。それはネイティブ・スピーカーであれば、説明されるまでもなくわかっているはずのことです。
 それをふまえた上での父の発言。
「どういう感覚をしているの?」
 ここでも、上の例と同様、文頭の「どういう」という疑問詞に惑わされてはいけません。質問者は私がどのような感覚をしているのか、所見を述べるように要請しているのではないのです。要するに皮肉なのよね。また、父がそのような皮肉を言うということは、この寒いのにストーブを消すなんて考えられないと言っているところからも明らかなように、そこには寒がっている人間しかおらず、暑がっている人間の存在は無視されていると受け取れます。「自分が」寒いのだから、たとえほかに暑がっている人間がいたとしても、ストーブをつけていてもいいと考えているということになるのかしら。相変わらず腹立たしいわね。
 暑がりな人間には居場所はないのかと、悲観するには及びません。私は確かにあのときいらいらしていました。私はストレスや悩み事というような心理的な負担からは逃れたい性質があるらしく、どうすればいらいらがおさまるのか、どうすれば解決できて、どうすればそれを今後も活かすことができるだろうかと考える傾向にあるようです。そして、答えはすぐに見つかりました。
「一人暮らしがしたいなぁ」
 前々から頭の片隅にはあったことですが、経済的な負担を考えると、定期券を使ってバスを乗り継いで往復3時間かけて通うほうがずっと安く済んだのでそれで我慢していました。そうなのです、私は我慢していたのです。私は嫌なことは嫌ですし、自分に正直に生きてきましたし、一度そのような考え方をもってしまえば、一人暮らしをするという決心ももう揺らぎそうにありません。家にいても、無駄に暑い、くだらない番組を四六時中つけていてうるさい、家族はとやかく口うるさい、疲れて家に帰っても、いいことは何もないではありませんか。そこまで言っては大げさかもしれませんが、ひとり静かに、誰からも何も口出しされずに自由にやりたい。私のもとからの性質はそのようなところにありましたし、家族といえど、共同生活を強いられるのは、自分らしく生きるという上でも私には難しいことだったのかもしれません。
 家族が嫌いということはないのですが、それよりも自由がほしい。睡眠時間をもっと確保したい。そのように望んでしまいがちなのです。

もしものときは

2009/11/01 23:52
 久々のバトンのような気がします。発掘してきたのです。


おもしろバトン


Q1.理想の男(女)が記憶喪失で落ちてたら?
 交番に連れていくとか病院に連れていくというのでは、ありきたりすぎますし、そこで話が終わってしまいます。ということで、とりあえず連れて帰って、一時的に保護することにでもします(野生動物を拾ったときと対応が同じだわ)。記憶は取り戻しても取り戻さなくても、そのまま一人立ちできるようになるまで、私が責任をもって育てます。記憶をなくしてしまったのは、そうある以上仕方がないので、後悔してもはじまりません。現実は現実として受け入れる一方で、その先どのように生きるかを一緒に考えたいのです。やはり、その先ずっと、誰か(この場合は私ですが)に依存したままではいけないと思いますから。人間、誰しも生まれてくるときは、自分を必要としてくれる人(親など)に依存した生き方しかできないというか、誰かに必要とされることでしか生きられないというか、そのようにして生かされるものだけれど、あるとき、自分の意志で、自分が生きるために生きはじめるものである。……って、確かルソーが言っていたような。

Q2.歩いててサイン求められたら?
 それはつまり、色紙か何かに私の名前を書くことを要求されていると受け取れます。了解しました。そうまでおっしゃるのであれば、名前を書かせていただくことにします。「○○さんへ」と、相手の名前を入れることも忘れずに(なりきりすぎ)。ですが、私はサインをしたことがないので、小学生が自分の所有物に名前を書かされるときのような字体になりそうですが。ところで。
 なぜ私にサインを求めるのかしら?
 最初にそれを聞こうよ。

Q3.引き出しからドラえもんが出て来たら?
 四次元ポケットは気になるところですけれど。両極端かもしれませんが、以下のどちらかになりそうです。
  1. 引き出しに押し戻す(ぎゅむっぎゅむっと力いっぱい)
  2. 飼う(えさはどらやき?)
 最後に、元の声優さんに戻ってくださいとお願いしたいです。

Q4.殺し屋に『死に方を選ばせてやる』と言われたら?
「それはつまり、私は自分の死に様について、それをただちに選択しなければならず、しかもその選択の可否をあなたに問わねばならず、しかもあなたから許可をいただかなくては死ねないということよね?」
 まったく、誰に向かって口をきいているのかしら。このように言ってお説教したいのはやまやまなのですが、状況がのみこめないときは、まずは相手の意図を確認する必要があると思うのです。理由をたずねるのは相互理解のためにも大事なことだと思いますから。ですが、言葉のとおり、希望を言えば望んだとおりの死に方をさせてやる、つまりこれから殺すと言われているのなら、やられる前にやるか、逃げたほうがいいと思います。
 それはそれとして、バトンの主旨にそって、一応まじめに答えてみたいと思います。
「好きな人の腕のなかで眠りにつきたい」
 なんて言ってみようかしら。きゃー、私ったら乙女。どうでもいいですが、まじめなどころか、答えになっていません。

Q5.見知らぬ大富豪に遺産を残されたら?
 おそらく、そんな夢を見た、というオチでもついていそうですが。素直にもらえたらどんなにいいだろうと思います。ですが、そのような大金、もらう筋合いがないのでもらいません。もともとお金には興味ありませんし、私にはその大金を何かのために役立てたり、有効活用することはできないでしょう。それでは宝の持ち腐れになってしまいます。
 お金が必要なのであれば、必要な分だけ自分でかせげばいいのではないでしょうか。自分がかせいだと思えば、そのお金は自分のものという愛着もわきますし、大事に使うと思うのです。

Q6.初対面でB型?って聞かれたら?
 A型に間違えられる確率が圧倒的に高いので、珍しいことです。ちょっと感動します。ですが、相手にいきなり血液型を聞くのはおかしいと思います。人という存在は、血液型によってのみ特徴づけられるものではありませんし、血液型で分類することが何かのためになるとは思いませんもの。

Q7.貯金残高が増えていたら?
 利子の分ではないかしら。利子にしては多いようであれば、直接銀行に問い合わせて確認をとります。

Q8.カモシカの様な足にされたら?
 2本から4本に増えるのかしら。もつれてしまいそうだわ。ですが、足が速くなりそう。運動音痴な私にしてみれば、思いっきり走ることができて、運動をする喜びを実感することができるかもしれません。ところで、シカやカモシカはあの足でどんなに足元の危うげな崖にものぼったり走り回ったりできるのですごいと思います。足のおかげというよりは、バランス感覚が優れているためでしょうか。

Q9.前に立ってる人に『俺の後ろに立つんじゃねぇ』と言われたら?
 とりあえずしゃがんでみるとか? そういう問題でもなさそうね。見ず知らずの人間に命令されるなんて腹が立ちますけれど、かかわらないほうが自分のためだと思います。それでも、どうしても会話を成立させなければならないのだとしたら。
「私の前に立たないでくださる?」
「目障りだから」
 と、理由を添えてはっきり言えば、反論の余地はないのではないでしょうか。
 人に文句を言う前に、自分で動けばいいのに。そもそも、自分がうしろにいるその人の邪魔になっているとは考えないのでしょうか。自分は何もせずに、ただ命令するだけというあり方には反感をおぼえます。

Q10.『犯人は、あなたです』と言われたら?
 断定的な言い方はよくないと思います。もしその人の勘違いだったとしたら、そのように言った相手をどれほど傷つけるでしょうか。そもそも私がどんな事件を起こしたというのよ。被害者は誰で、どんな目に遭わされたのよ。
 ここで大事なことは、身に覚えのない罪は認めないこと。一度認めてしまったら、言い逃れができなくなりますから。それではどうするかというと、誰か適当な人を犯人に仕立て上げるのが無難です(冗談ですが)。

Q11.鏡を見てたら目がヤギになってたら?
 せっかくですので、なりきって「メェ」と鳴いてみます(無駄に適応能力ありすぎ)。紙も食べられないかしら。もしゃもしゃ。ヤギと仲良くなれそうで、悪くないと思うのです。ですが、どうせなら猫のような目がいいわ。
 あとで人間に戻れるのなら。

Q12.偶然手に取った本の主人公が明らかに自分だったら?
 大爆笑間違いなし。

Q13.モナリザがこっち見ている気がしたら?
 そんなに見つめられるとてれちゃうわ、と恥じらってみます。大勢の人が、絵画としての美しさを称賛するモナリザの前で、見られていると思って恥じらうのもただの変人のような気もしますが。

Q14.次にバトンを回す人は?
 興味をもたれた方、ブログのネタが不足していてお困りの方など、どなたでもどうぞ。



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学業と趣味の両立

2009/10/31 23:55
 うちのカメはあくびがかわいい、と思う今日この頃。いきなり親ばか発言です。それは今にはじまったことではありませんけれど。
 うちのカメは、暖かい日など、まれにあくびを見せてくれます。わざわざ私のほうへ向き直って、じっと目線をそらさず、気持ちよさそうにふわぁぁぁ〜っと。カメのあくびが見られた日は、あまりの愛らしさに、一日中いいことがありそうな気分にさせてくれます。
 あくびといっても、ただ口をカパッと開けるだけの素朴なものなのですが、それがかわいいのなんのって。カメのあくび好きが興じて、動物のあくびの写真をコレクションしているサイトにまで訪れたことがあります。ですが、みんなとてもかわいらしいあくびをしていたにもかかわらず、やはりうちのカメが一番だと思ってしまいます。2番目は、そうねぇ……馬のあくびがかわいかったわ。歯ぐきがすてき。
(参考URL:「Rodent's Yawning Animals page」http://www.gapingmaws.com/
 そんな私の夢は、カメのあくびを写真におさめることです。これは長年の夢だったのですが、いまだに果たせずにいます。一瞬で終わってしまうのですもの、カメラをかまえる余裕がないのです。最初からカメラを向けていると、警戒してあくびなんてしてくれませんし、難航を極めています。
 そこで思いついたのが、あくびを芸(?)として仕込むという計画。これで私の見たいときにやってくれるようになるかもしれないわ。あくびではなくても、口を開けてくれるだけでいいのよ。どちらにせよ、あくびをしていても、ただ口を開けているだけでも、大差ないと思いますから。
 芸を仕込む。さてどうしよう。犬や猫などの哺乳類ならまだしも、相手は爬虫類です。見るからに頭が悪そう(失礼な)。思いついたことといえば、口をパクパクして見せて「こうやるのよ」と教える方法。ミラーニューロンを有効活用しなくては。気長につづけていれば、そのうちまねしてくれるだろうとふんでいたのですが、一向にその気配はありません。根気比べとなると、私は弱いのです。根気よくつづけるということが私にはどうもできないのですもの。「地道に」とか「コツコツ」とか「少しずつ」とか「毎日」とか。
 無理よーーーう。
 相手はカメよ。あんなマイペースな生き物相手に、根気比べだなんて無謀だわ。スピードを競う種目でもなければ勝てないわ(いつから勝負事の話に?)。
 私の努力とは裏腹に、カメはポカンとしたまま私の顔を凝視しているだけで、ちっとも口を開けてくれません。それどころか、内心、私のことを。
「ご主人様はなにをやっているのだろう。まぬけ〜」
 なんて嘲笑っていたりして。まあ、かわいくないわ。でもかわいい(どっちよ)。
 余談ですが、先ほどミラーニューロンを調べてみると、どうやら霊長類にしかないらしいということがわかりました。私の努力っていったい……。あとは、歯医者さんにでも、なかなか口を開けてくれない子供の対処法を教わりに行くしかないのでしょうか。
 前置きはそのへんにしておいて。長々とつづけていたカメの話はすべて前置きなのです。下手をすると、本文よりも長くなってしまうこともしばしばで、そんな前置きの長さはちょっと自慢。
 気がつけば、ブログを更新しないまま1週間が過ぎてしまっていました。忙しさを理由にする大人になんてなりたくはないのですが、確かに忙しいのが現状です。今週は定期試験の重なるクラスがいくつもあって、試験監督に採点に成績集計に、忙しさがぎゅぎゅっと濃縮された1週間でした。いつもは、「忙しい」「疲れた」と口にする割に元気な私なのですが、今週の疲れはそれどころではありませんでした。帰宅すると、毎日お風呂に入って眠くなりましたし、今日も半日くらい眠って、それでもまだ眠いほどです。年かしら。ですが、今日やっと心ゆくまで眠ることができて思いました。眠るってなんてすばらしいことなのかしら。眠るの大好き。睡眠最高。私は眠ることが本当に好きなのだと、改めて感じました。
 今週のしめというのが、習慣となっている黒猫ちゃんとのお電話でした。黒猫ちゃんは電話の向こうで、なにやらニャーニャーしゃべっていたわね(どんな記憶の捏造よ)。昨日は講義が終わってからO嬢と夕飯をご一緒して、お酒が飲めない私のために、居酒屋ではなく夜の喫茶店でお茶をしました。家に着く頃には日が変わっていましたが、そんな遅い時間帯でも、黒猫ちゃんは電話に付き合ってくれました。お話しながら、私は半分眠っていましたけれど。えへ。ごめんね、黒猫ちゃん。ばれていないといいのだけれど。それにしても、電話機をもったまま眠るというのは矛盾した行動だと思うのです。電話機をもつ手だけはおしゃべりをする気満々ですが、手を除くほかの器官は全員睡眠体勢。どちらか一方に選べたら苦労しないわよ。
 今年度の博論の中間審査の締め切りまであと1ヶ月。死ぬ気でやればなんとかなるでしょう。締め切りぎりぎりに駆けこむなんて、毎年のことですもの。これまでそれでどうにかなったので、今年もどうにかなるという妙な自信がついています。私はやればできる子だもの。本当は反省しているのですが、なかなか活かせないものです。
 論文の完成にもだいぶ見通しがつきました。それに伴って、どのくらいまで趣味に時間をかけていいか、力を傾けていいかがわかってきました。どんなに忙しくても、学業も仕事も趣味もすべて両立できるようになるのが当面の目標です。何をしているときでも、常に楽しむ気持ちだけは忘れたくありません。